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明智光秀に本能寺の変を起こさせた最大の理由は、「日の本に王は二人もいらん」という信長の言葉でした。つまり、天皇を廃して自分が王になろうという意思を示したということであり、光秀は「そればかりはなりませぬ」「なんと怖ろしい」などと言っていました。
 この前の場面で...

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明智光秀に本能寺の変を起こさせた最大の理由は、「日の本に王は二人もいらん」という信長の言葉でした。つまり、天皇を廃して自分が王になろうという意思を示したということであり、光秀は「そればかりはなりませぬ」「なんと怖ろしい」などと言っていました。
 この前の場面で、公家の吉田兼和が信長に「関白・太政大臣・征夷大将軍のいずれかでもいいから受けてほしいと頼んだんやが、今日まで返答がない。信長様は何が不満なんや。帝は信長様の心をはかりかね、御気鬱が続いている」と光秀に言い、さらに光秀の領地が召し上げられるという噂が広がっていると言ったため、光秀が信長を夜中に訪ねるという展開になっていました。信長は召し上げではなく、国替えだと答え、さきほどの天皇排除の言葉につながっていました。
 やはり本能寺の変には朝廷が関与していたことをうかかがわせるような描き方ですが、関白・太政大臣・征夷大将軍という「三職推任」に関しては、桐野作人氏の「織田信長」(新人物往来社)には、「信長は推任を断ったと考えるのが妥当な見方だろう」と指摘されています。
 ドラマでは、「今日まで返答がない」と言っていましたが、桐野氏の同書には、三職推任の「勅使一行が安土に着いたのは5月4日で」、信長は「勅使との対面を2日間渋った」が、それは「前年、左大臣推任を断ってい」て、「三職推任も受ける気がなかった」ものの、「勅使の面目がつぶれてしまうことを信長は危惧して対面を避けようとした」からだとあり、「信長の朝廷への気遣いはもっと知られていいだろう」と記されています。 信長は6日に断ったのだろうと推測されています。
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「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」
ですか?

これは幸若舞の敦盛の一部で、信長のお気に入りらしかったです。

「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」
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これは幸若舞の敦盛の一部で、信長のお気に入りらしかったです。
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